中学受験・大学受験~父親の雑感

田舎出身の両親から生まれた息子の子育て雑感。息子は私立中高一貫から国公立医学部に進学。現在は部活に明け暮れる大学一年生。

学習計画への親の関わり

息子が小学生のときは、ボクが学習計画を立ててやっていました。
特に受験まで残すところ1年となった頃からは、細かくスケジューリングしていましたね。


塾の授業・テスト、模擬試験。
学校訪問。
家庭学習、特に過去問解きのスケジュール。


小4ぐらいから、割りときっちり作成していたので、形式的にも内容的にも徐々に完成度が高いものが作成できるようになりました。


中学生のときは、息子と二人で相談して、その結果をボクがエクセルにまとめていました。
この頃はまだボクの方がエクセルの腕が圧倒的に上でしたから。


高校3年のときは、一切口出ししていません。
高1、2のときは、多少アドバイスしましたかね。あまり覚えていないです。


息子は、小中とボクが作成するスケジュールを見ていたので、どんな風にスケジューリングすればいいか、わかっていたと思います。
ただ、大学の受験スケジュールだけは、医学部はかなり複雑ですので、ボクが作成してあげました。お金のこともありますしね。


受験でも、日々の学習でも、仕事に就いても、スケジューリングの能力は大切です。


早い人なら中学受験から、遅い人でも中学から、自分でスケジュールを作成する能力を磨いていった方がいいですね。


スケジューリング能力は、次につながる能力じゃないかと思います。

第一志望が不合格だった場合

大学受験で第一志望に不合格だった場合、後期でY大学の受験を勧めていました。


しかし、息子は乗り気ではなかったですね。
なぜか家内も乗り気でない。


とすると、合格した私立に行くしかないですね。


そして私立含めて全落ちだった場合は、浪人するというのが、当たり前の既定路線。
予備校も決めていました。


そして、2年目は、もうひとつ難易度を下げた大学を含めて受験させる。


それでも全落ちなら二浪。
二浪時には、やむを得ないため、医学部以外の私立理系を併願し、そこで受験は終了。
どうしても医師になりたいというのなら、自分だけの力で再受験してくれ。


なかなか厳しい「たられば話」ですが、合否がある試験である以上仕方がないです。


難関の資格試験なら働きながらでも合格するまで頑張るという手がありますが、大学をずっと受け続けるわけにはいかないですね。


ただ、息子には一浪までしか説明していませんでした。
あらゆる場面を想定してあげるのが親の役目ですが、それを胸に納めておくのも親の役目ですから。

驚愕の結果

中学受験では力足りず第三志望校に入学しました。何校かに合格はしましたが、この学校への入学をボクが強く勧めました。


大学受験の場合は、本人と英語塾の先生以外、誰もが第一志望の合格は無理だと予想していました。
両親も高校の先生方もです。


高校の先生方についてはこんな話があります。


息子がS大学に合格したと中学1年と高校1年で担任をしてくれた先生に報告したところ、涙を流さんばかりに喜んでくれたようです。
息子いわく「ぼくが合格するとは思わなかったみたい。」


その後、J大学に合格したときはもっと驚かれたらしい。
これについては省略。


そしてクライマックスは国公立。
本番できたと言っていた息子のことを心配した家内が、高2で担任をしてくれた先生に相談したらしいです。
「息子は合格できたんじゃないかともの凄く期待しているんですが、もし不合格だった場合、どうやって慰めたらいいでしょうか。」と。


家内は心にも思っていないことを口に出すタイプではないので、本当に心配したんだと思います。


そのとき先生は、困った顔をしたらしいです。
普通は「最後まで諦めないで、朗報を待ちましょう!」と言って励ましてくれてもよさそうですか、家内が受けた印象では、先生は「無理そう。」という顔をされていたらしい。


結局、第一志望にも奇跡的に合格し、息子はクラスメートにさえ、驚愕の目で迎えられ、ぽそりと一言。
「みんな、ぼくが合格するとは信じられないと言っていた。」


かわいそうに。
だが息子よ、悪いが父さんもクラスメートと同意見だ。


たらればのお話をしようと思っていたら、前段が長くなってしまいました。


不合格だったらどうしていたかについて、次の記事で書きます。