家庭学習の効用~地頭は後天的に作られる
中学受験を含めた小学生の時は、随分家庭学習に力を注ぎました。
その際にこれはよかったなと思えることをいくつか書いてみます。
まず漢字学習。
のちには作業として漢字に取り組んでいますが、当初は、漢字の成り立ちやここから派生したひらがな片仮名といったものまで、じっくりと説明しました。
説明したというより、二人で、「へーっ、そうなんだ。」といった感じで進めて行きました。
ボクが小学生の頃は誰も勉強の面倒を見てくれなかったので、ボクの筆順は無茶苦茶です。
一方、息子の場合は物凄く正確です。
漢検の勉強もしっかりやりました。確か、中学生のときに2級を取ったはずです。
ボクの筆順も、息子に教えていて自分も矯正したわけです(笑)。
これは教えているというより一緒に学んでいたということですよね。
間違った書き方をするボクを見て息子は嬉しそうでした(苦笑)。
部首の意味もよくわかっています。
表意文字として漢字を見つめ直すようにして学習しましたので、大学受験で物凄く楽だったそうです。
次に計算。
九九はしっかりやらせました。
このときもボクは成長しました。
ボクは、2×9は言えても9×2が言えなかったのです。いつもひっくり返して計算していました。
8×3なんかもそうですね。
それから二桁の掛け算や、工夫しながら計算するというのも、じっくりやりましたね。
たかが計算ですが、工夫しようという姿勢は思考力を養成します。
二桁の掛け算については結構覚えてしまったと思います。勿論、息子がです(笑)。
その他に理解系の様々な基礎的な勉強を二人でやりましたが、結構息子の身についたのではないかと思います。
いきなりドリル形式でやると理解が不十分になります。
また、集団塾で学ぶと、一方通行になってしまいます。
高学年になると一方通行でも吸収できますが、低学年は親子で勉強するのが一番いいと思います。
低学年の子供が、目で見たり耳で聞いたり書いたりだけで理解し覚えるということはないです。あったとしても、うわべだけですね。
親とのコミュニケーションの中でじっくりと頭に刷り込まれて行くというのが理想的だと思います。
ですから、低学年から通塾すること自体は悪くないと思いますが、塾の予復習だけで家庭学習が終わってしまうというのはもったいないと思います。
しっかりと基礎的なことを家庭でやった方がいいでしょう。
勿論、「基礎的」というのは「簡単な」とか「初歩的な」いうのとは全く意味が違います。
ところで、よく「地頭」という言葉が使われますが、これはもって生まれたものだけではなく、上に書いたような基礎的な学習によって培われるものだと思います。
小さい頃の読み聞かせなども地頭養成
に力を貸すでしょう。
低学年の子供は、人とのやり取りの中で理解が深まると言えますね。
受験塾に5年生や6年生になって入ってきて、その後ごぼう抜きでクラスや順位を上げて行く子供さんがいますが、これは素質の問題というより、いかに基礎的な学習が家庭でできていたかによるのだと思います。
また、親が難関大学出身でなくても、教える熱意と工夫があれば、かなりの程度まで子供の「地頭」はよくなります。
地頭を「先天的なもの」「遺伝的なもの」と誤解するのではなく、後天的に培われる「基礎的な思考力」「学習の土台」ととらえるべきですね。
基礎的な思考力があれば、その上にたくさんのものを安定的に積み上げて行くことが可能です。
形だけ積むのではなく、崩れないものとなります。
勉強するに当たって積み上げたものが崩れないというのは物凄く楽です。
効率的な学習も可能となります。
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