中学受験・大学受験~父親の雑感

田舎出身の両親から生まれた息子の子育て雑感。息子は私立中高一貫から国公立医学部に進学。現在は部活に明け暮れる大学一年生。

(1)改めて中学受験を考える~父子の軌跡から

7年も前に中学受験を終えた我が家ですが、中学受験が息子や我が家に与えた影響はかなり大きなものでした。


息子にとっては、これまでの人生で最大の転機だったとも言えますし(ある意味大学受験よりも)、ボクたち父子にとっては、より親子の絆を深める最大イベントでした。


そこで、改めて考えてみたいと思います。


「中学受験は必要だったか。」
「中学受験をしてよかったか。 」
「中学受験をしていなければ、今の息子はないか。」
「公立中高に進む選択はなかったか。」


まず、我が父子の比較をしてみます。


息子は、公立小学校から私立中高一貫高、そして国公立医学部に現役で進みました。


対してボクは、公立の小中高から駿台での1年の浪人を経て国公立大学に進みました。


現在の大学偏差値を見てみました。
駿台、河合塾、代ゼミの偏差値を見る限りでは、息子が通う大学もボクの母校も、東大理1・理2の偏差値とほぼ同じレベルです。


つまり、ボクと息子の「偏差値的なゴール」は一緒だったと言うことです。


もし親子の地頭に類似性があると仮定すると、中学受験をしなくても、息子もほどほどのレベルに達した可能性があります。


いや、息子の方が上に行ってもおかしくないハンデがボクにありました。
中卒の父を持ち、一度も勉強の面倒を見てもらったことのないボクと、学生時代家庭教師や塾講師としてアルバイトに精を出していたボクを父として持つ息子とでは、ボクが圧倒的に不利です。


もう少し父子の軌跡を述べます。


息子は、小6から大手塾に通塾を始めました。
それ以外に、早稲アカ、日能研、サピックス、栄光ゼミナールの季節講習や理科実験教室に通っていました。これは5年生までのことです。


中学の間は個人の英語塾に通っていました。これは大学受験まで続きます。


高校1年になって、ユルさが気に入ったお茶の水ゼミナールに数学だけ通いました。
高校2年生になると、お茶の水ゼミナールの設定講座が息子に合わなくなってしまったため、塾を変え大学受験まで続けました。
科目は数学が中心で、一時期物理を取り、英語と化学を映像授業で集中的に受講した時期もあります。
その間、他の予備校の季節講習や直前対策講座にも通っています。


さて、ボクはというと、小学生の間は、サッカーと剣道を習い、習字と算盤に通っていた程度です。
算盤以外はどれも中途半端でしたので、小学校時代の習い事は息子の圧勝です。


息子は、テニスも水泳もかなり続け、得意なスポーツと胸を張って言えるレベルに達しましたし、あるスポーツ種目では区大会で優勝したことすらあります。
このスポーツ、何と受験の1か月前まで続けていました。そして受験が終わると、次の日から復活させています。


ところで、少し前の記事で、テニスを5年生ぐらいまでやっていたと書いたのですが、過去の学習計画表を見ると、6年生の秋の時点でもちゃんと金曜日の夜はテニススクールと書いていました。
どうやらボクの勘違いのようで、小6の秋まで続けていたようです。


さて、ボクの話に戻します。
中学生の間は塾通いはしていません。
というか、塾が近くにありませんでした。
ボクの田舎では、勉強をする塾は「学習塾」と呼んでいましたが、ボクは、学習塾を見たことがありませんでした。
実際は存在していたのでしょうが。小学生にはわかりませんでした。


高校受験をしましたが、勿論自学です。
内申書重視でしたのでそれほど苦労せずに高校に入りました。
この内申書が曲者で、英数国理社と体育、美術、音楽、家庭科等が全く同じ配点で評価されるのです。
後者はボクの得意とするところです。


その他に、中学3年間生徒会役員をしていましたし、部活の部長もしていました。
付き合っている女の子とコンサートに行ったりしていましたし、ちょっと突っ張った中学生でしたが、なぜだか先生方には可愛がられていました。


従って内申書が悪いわけがありません。


高校は、今では少しレベルが落ちたようですが、ネット情報によれば、全国の国公立で30番から50番に位置付けられているようです。
勿論、これは筑駒を始めとした国立大学附属を含んだ順位です。


ところがボクには大きな落とし穴が待っていました。
体育と芸術系で高校に進んだものですから、高1の時の模擬試験はひどいものでした。
旺文社模試か進研模試のいずれであったか忘れてしまいましたが、偏差値が40ちょっとだったと思います。
学年全体でビリです(笑)。
ビリということは、ひょっとすると40を切っていたのかも。
特に英語がひどかった。


えっ?
これってビリ男ですかあ‼


こりゃ大変だということで、父親に相談して、塾を探してもらいました。
結局、通っていた高校の先生がやっていた個人塾に通いました。
担任ではなかったとは言うものの通っている高校の先生がやっておられる塾に通うなんて今では考えられませんが、田舎のことですし、呑気な時代だったのです。
実は、その後塾を辞めた後、その先生はグラマーの担当となられました(苦笑)。


ボクは3か月程度しか通っていない記憶ですが、それで一気に成績が伸びるはずがありませんので6か月近く通ったのかもしれません。


その塾には他に4人通っていて、1人は京大経済、1人は神戸経済に現役で合格し、もう1人は覚えていません。
残る1人は紅一点で女の子でしたが、他の少し難易度が低い高校に通っていて、余り話をしたことがありませんでした。
物静かでとてもかわいい女の子でした。


その女の子に会いたくて(別の高校なので塾に行かないと会えない)、結構頑張って通っていました(笑)。


塾に通っている間に、英語の勉強の仕方がわかり、自宅でも頑張っていたら、高1の間に、上述の模試では、偏差値が70を超えるようになりました。
高1の間に英検2級にも合格しました。


英語が伸びると、今度は他の科目にも欲が出て、結構頑張りました。
最初の模試から高3の始め頃、学年30番以内に入るまでは、一度も校内順位は下がりませんでした。
この頃初めて、模試なるものがあることを親に言い、成績表を見せました。


ボクには姉もいましたので、親がそれまで放置してくれていた理由が今でもよくわかりませんが、ひょっとするとボクが模試の成績を隠していたことを知りながら、黙っていたのかもしれません。


高3の間は成績が上がったり下がったりはしましたが、伸びていました。
受験前は文理別で校内で一桁の順位でした。


ネットや書籍で偏差値が30伸びたといったキャッチフレーズをよく見ますが、これはよくあることだと思います。
最初が悪ければいくらでも伸びる可能性があるわけで、確率的にも生じると思います。
当初、偏差値がとてつもなく低いのは、勉強を全くしていないか勉強の仕方が悪いだけです。
それを自慢するのはどうかなあ、と思います。
ボクとしたらとても恥ずかしいことで、人様に自慢するようなものではないです。


それに、ボクの場合は、高1の2回目の模試ですぐに学年の中位まで伸びましたが、最初から最後というと、40ちょいから70ぐらいまで伸びていますから、「画期的勉強法で偏差値が30伸びました!」と言ってもあながち嘘ではありません。
1回悪い成績を取れば足りる訳ですからね。
自慢にもならないですね。
そんな特殊な例を世間に広めても、役に立つ人は少ないと思います。
但し、ストーリー(小説)としては面白いし、感動できるかもしれません。


話が横道に逸れました。


ボクは、大学受験では結構頑張りましたが、センターのできが今一で、二次で追い上げたものの、5点足りずに不合格となりました。
どうしても合格したかったので再挑戦し、翌年合格最低点を30点余り超えて合格しました。


次回に続きます。



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