父親にしてもらって嬉しかったこと~高校生、浪人生のとき
温い感じで高校生活を送っていると、いつまでたっても数学ができるようになりませんでした。
今思うと、典型的な私立文系に傾きかけていました。
学級担任ではなく、ボクが尊敬していた学年主任の先生に相談したところ、
「最初から逃げ腰になってはいけない。○大学を目指すぐらいでないと。」
と言われて、ボクの志望校はその日から○大学になりました。
多分先生は、ボクを激励するだけのために言ったのだと思いますが、ボクは真に受けてしまいました。
自宅に帰って、家族の前で、
「ボクは○大学を志望校にするから。」
と宣言したら、家族はのけ反っていました。
唯一冷静だったのは、ボクの父親です。
ボクは父親に、今でも「酒飲みすぎるなよ。」とは言われますが、「勉強しろよ。」と言われたことは、人生で一度もありません。
父親は、黙って応援してくれました。
力不足で浪人したときは、アパート暮らしをしながら駿台に通いました。
ある時、父親が食料などを持って来てくれる予定の日がありました。
何気に朝7時頃、アパートの駐車場を見ると、父親の車が止めてあり、中でシートを倒して父親が寝ていました。
後で母親に聞いたのですが、高速料金を節約し、下道を走るために、夜中に実家を出てボクのアパートまで来ていたようです。
車で片道3時間はかかっていたでしょうね。
車の中で寝ていたのは、ボクを早く起こしてやったら可愛そうだと思ったらしいのです。
勿論、父親はそんなことをボクには言いません。後で母親から聞いた話です。
食料などを置いた後に、30分ぐらいで、父親は、
「じゃあな」
と言って、また3時間かけて実家に戻りました。
これが毎月1度、1年間続きました。
父親の日曜日がこうして潰れていたのです。
あのとき強く感じた感謝の思いが甦ります。
今思い出しても涙が出そうです。
いつも淡々としていたボクの父親。
いつも同じなので、とても安心できました。
いつも淡々としている父親でしたが、初志を貫徹してボクが○大学に合格したとき、自宅に報告の電話をしたところ、電話に出た母親の横で父親は泣いていたそうです。
「お父さんが嬉しくて泣くのを初めて見た。」
と母親が言っていました。
息子ができたボクも、同じように我が息子の力になってやりたいと思いました。
83歳になったボクの父親、今でもボクにとっては大切な人です。
この記事を投稿したら、また父親に電話をして、ボクたちの近況を話してやろう!
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。