父親にしてもらって嬉しかったこと~小学生のとき
ボクが、田舎の公立中高の出身であることは、これまでも何度か書いてきました。
では、全く中学受験というものを知らなかったかというと、そうでもないのです。
小学5年生の時だったでしょうか、田舎の公立小学校に一人の転校生がやって来ました。
その頃のボクは、必ずと言ってよいほど1学期は級長(今はこうは言わないのでしょうね)をしていたので、この転校生T君とは直ぐに親しくなりました。
転校生の面倒を見てあげるのは級長の役割なのです。
そのT君から、町中に行って試験を受けないかと言われました。
学校のテスト以外に業者がやっている模擬試験なるものがあることを初めて知りました。
興味本位で、T君のお父さんが運転する車で、T君と一緒に町中の会館のようなところに出向き、試験を受けました。
とっても難しいと思った記憶があります。
志望校を書くところがありましたが、私立の中学校のことは全くわかりません。
唯一知っていた灘中学の名前を書きました。
結果。
何だかよくわかりませんでしたか、全受験生の中で真ん中ぐらいでした。
灘中学志望者の中では、勿論ビリの方です。
自分が真ん中位だと知って、大いに驚きました。
小学校では、かなり成績がよかったものですから。
まあ、中学受験の実情を知っていれば当たり前のことなんですがね。
でも、悔しい思いをしたのは事実です。
そこでT君に聞きました。
「どうやったらいい点が取れるの?」
T君曰く、
「力の5000題という問題集をやればいいんだよ。」
愚直なボクは、本屋で算数、国語、理科、社会の4冊を買って、早速始めました。
やたら難しいと思った記憶があります。
でも、難しい本を読むのが好きでしたから、問題集もちんぷんかんぷんでもやっていました。
そのうち、T君は模試に行かなくなっていました。
お父さんに言われて毎回行っていたらしいのですが、行くのが嫌になったらしいです。
模試の会場までは車でないと行けません。
そうすると、ボクの父親が連れて行ってくれることになりました。
このとき、父親はとやかく言うことなく、わかった、といった感じでした。
ボクの父親は、あまりとやかく言わないのです。
ボクがやりたいと言うことにいつも理解を示してくれ、黙って協力してくれていました。
そもそも中卒の父親にはわかりようがない世界だったのかも知れません。
このときから、ボクと父親の模試通いが始まりました。
そのうち、灘中しか知らなかったボクが、いくつかの私立中学の名前を知り、模擬試験で学校名を書くようになりました。
まあ、たいした成績ではありませんでした。
それでも、一つだけ中学校を見に行ったことがあります。中に入れてくれることを知らず外観だけ見学しました。
結局、家から遠いので受験することはなく、ボクの小学生時代は終わりました。
T君は、その後転校しました。
短い間でしたが、今でも彼のことはよく覚えています。
今更ながらふと思ったのですが、模試を受けている間、一体父親は何をして時間を潰していたのでしょう。
と言いつつ、ボクも息子の合不合テストについて行っていましたね(笑)。
とにかく父親はボクに対して恩着せがましいことを言ったことが一度もありません。
黙々とボクの面倒を見てくれるのでした。
ボクも自分の息子に対して同じようにありたいと思いました。
息子に何をしてあげられたかはわかりませんが、父親の真似はできたと思います。
続きます。
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