(6)改めて中学受験を考える~中学受験をさせてよかったか
このシリーズの最初に書きましたが、我が父子の到達点を見ると、息子が中学受験をしてもしなくても、大学レベルでは余り変わらなかったような気がします。
しかし、よくよく考えてみると、息子の場合は比較的順調でほぼ一本道を歩んでいたような気がします。
コツコツとやってさえいれば、何とかたどり着けそうな一本道です。
しかも、歩く元気が出てきそうな道なのです。
不確定要素や帰路に立って困惑したといったことはほとんどありません。
対して、ボクの場合は右往左往しながら、時には立ち止まってしまってどうしても前に進めない、そして随分悩みながら何とか前に進み、たまたまある程度の成果が得られたように思います。
結果はほぼ同じでも、異なったもっと望ましくない結果が出た可能性は圧倒的にボクの方が高かったと言えそうです。
この違いは、中学受験をしたかどうかで生まれたような気がします。
息子がまずまずの私立中学に入学し、そこで6年間お世話になったお蔭で、かなりのリスクがヘッジできたように感じるのです。
逆に、上昇・加速するための切っ掛けは豊富でした。
その意味では中学受験の意義は我が家においては大きなものだったと言えます。
対して、中学受験のデメリットは最小限に抑えられたと自己評価しています。
(これについてはまた機会があればまとめたいと思います)
イメージとしては、富士山に上るのにどのコースを取るかの違いです。
(実際の富士山は下記のような形状ではありませんが、イメージとしてとらえて下さい)
当初ゆっくりと登り始めて、途中から急に登りがきつくなってしまい、登頂そのものを断念するリスクがある場合(公立コース)と、最初はきつくて大変ですが、その後はほどほどのきつさで平均しているためそれほどのリスクがない登り方(中学受験後の中高一貫コース)です。
ところで、ときどき聞く話があります。
お父さんに地方公立高校から一流と言われる大学に合格した経験がある場合、
「俺の子供も一緒でいいよ。」
と言われることです。
ボクが思うのは、これは自己の成功体験が選択を曇らせている可能性があります。
ボクの経験で書いてきたように、地方公立から一流大学に進んだ例は、かなりの偶然や幸運が含まれています。
子供もその幸運に恵まれるとは限りません。
ボクの場合は、例えば、父親が探してきてくれたあの英語塾がなければ、もっと低いところで妥協してしまった可能性が高いです。
しかも、妥協せざるを得なかったのではないかと思います。
他にも様々な選択や試練があり、幸運にも上手く切り抜けて来られました。
成功者は自分の力と努力だけで現在を勝ち得たと思い勝ちですが、それは甘い考えだと思います。
ところで、中学受験をすると、「公立コースを進んで幸運に恵まれた場合」に比べてより高いレベルまで達することができるかというと、それはないと思います。
早めにチャレンジすることによってリスクは減りますが、公立コースのベストの到達点とさほど変わらないのではないでしょうか。
高校受験を経験するということはそれだけ重いものがあります。
この点については、私立中学に幻想は抱かない方がいいでしょう。
最後に。
中学受験を選択することのメリットは確かにありますが、これは上手に利用した場合に限ります。
中学受験で子供さんが潰れてしまうようなことがあったら大変なことです。
そんなことなら、公立コースの方がよほど精神的に安全です。
最初はゆっくりと登り始め、自分の意志で登ることができ始めてからエンジンをかけるというやり方です。
小学生の子供に登山を急かせることによって高山病になってしまい、登山そのものを断念しなければならない事態になっては、悔やんでも悔やみきれません。
子供にかける負荷は冷静で十分なチェックが必要だと思います。
子供のタイプ、親のサポート力と覚悟、おかれた環境などで中学受験を選択した方がいいのかどうかが決まるように思います。
これでこのシリーズは完結です。
読んでいただいてありがとうございました。
皆さんの参考になれば幸いです。
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