合格発表のジンクス~泣かせる妻のトラウマ
大学受験のとき、いくつかの大学を受けましたし、私立は1次2次と別々に合格発表がありますので、親子で何回も合格発表をネットで確認することになりました。
合否を最初に確認するのは息子かボクでした。
なぜだか家内はネットで確認していないことが多く、大概がボクたちから聞いてやっと確認する、といった感じでした。
ある程度してから、そのことに気がつきました。
「どうしてなの?」
「中学受験のとき、私が見に行った学校は全部落ちたから、最初に見ないようにしている。」
これを聞いた息子とボクは顔を見合わせてしまいました。
家族の中で最も中学受験に遠い位置にいたはずの家内ですが、中学受験の合格発表がトラウマになっていたようなのです。
そもそも、そんな「法則性」があったとは、家内のコメントを聞くまでは、ボクたちは全く気付いていませんでした。
気にもしていませんでしたね。
中学受験が終わって6年もしてからこういう話を聞くとは思ってもいませんでした。
家内は、息子の大学受験のとき、6か月ぐらい酒絶ちをしており、そのことを息子に黙っていましたが、受験が終わってから「あんまり関係ないと思うけど。」と息子に言われていました。
酒絶ちをするより、頑張って美味しいものを作ってあげるとか、できるだけいつものようにニコニコしていてあげるといった方がいいのになあ。
何か辛抱していると、ストレスになってよくないと思うけど、とはボクも思ったものの、家内には言えませんでした。
母親の子供に対する思いは、父親のそれと比べて独特でしかも限りなく深いからなあ、としみじみと思ったものです。
そういうと、ふと思い出しましたが、中学受験のとき、6校受けましたが、1泊の泊まりを含めて全てボクが付き添いをしました。
あれも何か意味があったんだろうか。
これが大学受験となると、家内は慶應だけ付き添うことになりました。
ボクの都合がつかなかったのと、ボクは慶應受験に余り乗り気ではなかったためです。
当然のことながら慶應は不合格だったのですが、あれも何かのトラウマになっていたら大変だなあ(笑)。
勿論、息子がではなく家内がです(苦笑)。
慶應以外の5校は延べ3泊の泊まりを含めてボクが付き添ったのですが、合否があると言うものの、幸いにして勝ち越しました。
そういうと、順天堂の2次試験に付いて行って上げてねとボクが頼んだら、家内はちょっと嫌な顔をしていましたね。
実際、2次試験で不合格になっているから、あれは何らかのジンクスを恐れたのかもしれない。
受験前に縁起でもないことを言っては行けないと黙っていたのかも知れないなあ。
合格が固そうな昭和の2次に行かせて上げた方がよかったかな。
結局、幸いなことに順天堂は繰り上げ合格になったので、家内の心の傷は多少は埋まったのかもしれない。
つくづく、母親の思いは深いなあと思い出される出来事でした。
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